浮世絵とお洒落の歴史

「浮世絵」と聞けば、何がイメージとして出てくるのでしょうか。
多くの人は北斎の大波や、写楽の役者絵が思い浮かぶと思います。

「独特のデフォルメと色彩を伴う、時代を映す版画作品」が浮世絵となります。
それでは、浮世絵の歴史と江戸時代のお洒落に関してご紹介致します。


【前期:浮世絵の誕生と錦絵の確立】

浮世絵の歴史はどこから始まったのか。
17世紀後半、「見返り美人」を描いた菱川師宣から始まった、とされます。
小説の挿絵のような仕事からキャリアを積み重ねていきました。
そして、工房を設けるまでに成長し、一枚絵として鑑賞に耐えうる版画作品を生み出したのです。

菱川師宣「衝立のかげ」
(引用元:「浮世絵鑑賞辞典」 角川ソフィア文庫)

見返り美人のような作品を生み出す人だけあって、彼の浮世絵もどこかエロティック。
上記画像の作品も、若い男性の上に楽しげな女性が………
この時点で、後に美人画や春画が繁栄する下地が、出来ていたようなものです。

そこから少し時代が下ると、歌舞伎と浮世絵が結びつくようになりました。
歌舞伎の看板絵を描く鳥居派が産まれ、役者絵のジャンルが広がりました。
役者絵は荒々しくもダイナミックな筆致が特徴。
菱川師宣のような優美な美人画とは異なる魅力があります。


実は初期の浮世絵はモノクロでした。
版画の技術が低く、色も摺った後に塗り加えていたのです。
ただ、そこから少しずつ版画の技術も上がり、
18世紀後半、ついに色鮮やかな多色刷りの浮世絵が誕生しました。
それこそが「錦絵」であり、その中心人物であった鈴木春信は爆発的な人気を誇りました。

鈴木春信「雪中相合傘」
(引用元「鈴木春信 江戸の面影を愛おしむ」 東京美術)

最初の画像の如く、お人形さんのような雰囲気の人物を描く人です。
実在の人物を描く場合でも同じ絵柄で描いており、幻想的な空気感を描ける絵師です。
多色刷りも含めた版画の技術を活かし、凝った作品を残しました。
もちろん、春画にも力を入れていて、代表作の「風流艶色真似ゑもん」は当時の技術の粋ともいえる美しい作品です。

錦絵がヒットした影響で、様々な絵師が登場しました。
春信没後に美人画の世界を引っ張った、鳥居清長や磯田湖龍斉。
肉筆の美人画や役者の似顔絵に腕をふるった勝川春章。
特に勝川春章は、その絵が重要文化財に指定されるほどの実力派。
あの葛飾北斎の師匠でもある人物です。

いよいよ浮世絵は黄金期へと向かうのです。


【中期:役者絵と美人画の確立とジャンル拡大】

写楽と歌麿。
日本で生活している人なら一度は触れたことがあるでしょう。
商品のパッケージや、切手、学校の教科書で、あちこちに彼らの絵は出てきます。
写楽の役者絵と歌麿の美人画は、まさに浮世絵のアイコン的存在です。

東洲斎写楽「三代目大谷鬼次奴江戸兵衛」
(引用元「東洲斎写楽:役者絵85図+プチ解説」浮世絵ライブラリー編集部)
喜多川歌麿「物思恋」
(引用元「喜多川歌麿の美人画133図」浮世絵ライブラリー編集部)

18世紀末に彼らが登場したことで、浮世絵がさらに進化しました。

写楽は非常にクセの強い絵柄で、役者絵を描きました。
その役者の真に迫るような表現力は、当時から注目されました。
上記の作品は、今の時代でも浮世絵の代表作として評価されております。
しかし、好き嫌いが別れたせいでブームを作ることに失敗。
10か月ほどで活動を停止してしまいました。

歌麿は、バストアップの構図で女性を描くようになり、女性の美を追求。
吉原を題材にした作品も多く、青楼の画家とも呼ばれました。
上記の作品のように、女性の内面も描き出すその表現力は高く評価。
その名声は遠く清の国まで届き、今の時代でも世界中の美術館に収蔵されております。

この浮世絵黄金期ですが、ここで頂点に立ったのが歌川豊国です。
写楽との競争に勝ち、優美で万人受けする作品を生み出しました。
幕末まで続く歌川派の総帥です。


19世紀前半は、人気絵師による百花繚乱の時代でした。
歌麿や豊国によって切り開かれた美人画と役者絵の地平。
そのフィールドで、数々の絵師が腕をふるいました。

それと同時に、美人画や役者絵以外のジャンルも広がりました。
風景画の発展は目覚ましく、葛飾北斎や歌川広重が傑作を残しております。
上記の画像の如く、雄大で奇抜な大波を描いた北斎。
どこか抒情的で豊かな風景を描いた広重。
まさにこの時代の傑作です。

葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」
(引用元「北斎展 ホノルル美術館所蔵 葛飾北斎生誕250周年記念」

また、北斎は90年にも及ぶ人生で様々な表現を探求しました。
美人画においては「宗理美人」と呼ばれる形式を確立。
狩野派や大和絵、西洋画の手法を貪欲に吸収し、死の直前まで描き続けました。
作品の質・量ともに飛びぬけており、日本の美術史上最も高く評価されている絵師です。

さらに、浮世絵がメディアとして非常に発達した時代でもあります。
服や化粧品の広告宣伝や、子どもの教育にも浮世絵が使われました。
春画も花盛りで、幕府の規制をかいくぐり制作。
何万枚、何十万枚も絵が摺られました。

浮世絵という文化・技術がまさに成熟期を迎えた時代です。


【後期:歌川派全盛と明治時代】

19世紀中盤以降、幕末と明治初期の浮世絵を支えたのが歌川派でした。
第2章で紹介した歌川豊国は、天才絵師であると同時に、優れた指導者でもありました。
歌川一門は、国貞、国芳、月岡芳年といった極めて優秀な絵師を輩出しました。

歌川国芳「本朝水滸伝剛勇八百人一個 岩沼吉六郎信里」
(引用元:「奇想の天才絵師 歌川国芳」新人物往来社)

美人画と役者絵の王道は、歌川国貞が引き継ぎました。
国貞は78年の人生で一万枚以上描いたといわれ、
幕末まで50年以上にもわたり人気絵師として君臨しました。

歌川国芳はブレイクするまで苦労したものの、勇壮な武者絵のジャンルを開拓。
国貞と共に幕末までの長い間一時代を築きました。
上記の絵のような、迫力のある華やかな絵を得意としました。
しかし、普通の画題に飽き足らず、猫や動物をモチーフにした絵、西洋画の技術を取り入れた絵、奇想を活かした絵等、あらゆる絵を描き尽くしました。

さらに、先に挙げた歌川広重も歌川一門であり、風景画でヒットを飛ばしました。
上記から、浮世絵の全てのジャンルで歌川一門は頂点に立ったことになります。


幕末明治期に入っても浮世絵は続き、歌川一門の勢いは続きました。
その代表が月岡芳年。幕末から明治中期まで活躍し続けました。
幕末の世相を反映した残酷絵をきっかけにブレイク。
美人画から歴史絵まで幅広く描き尽くしました。

月岡芳年「月百姿 玉兎」
(引用元「月百姿」電子書籍の君見ずや出版)

ただ、明治時代半ばになると、浮世絵調も完全に時代遅れになりました。
月岡芳年の弟子筋にあたる水野年方や鏑木清方は日本画を進化させました。
また、版画に関しても、西洋の技術を活かした「光線画」の小林清親が登場しました。
形式的な浮世絵版画は作られなくなり、日本画や版画の中にその名残が息づく事になったのです。


浮世絵には江戸時代が描きこまれております。

かつての伝統的な和のお洒落が、そこから読み取れます。


次のセクションからは、和の装いの話を致します。


【江戸時代の服装について】

江戸時代の女性の主な服装は小袖でした。現代の着物の原型となる服です。
下着代わりの襦袢の上に小袖を着付け、身分次第では打掛を羽織るのが基本でした。
当初の小袖は身幅が広く、丈がくるぶしあたりまでの長さ、帯も細いモノでした。
時代が下るにつれ、丈が長くなり帯も太く変化、今の着物に近い形になったのです。

未婚女性が着る小袖は袖の袂が長くなり、振袖へと進化しました
武家や大奥、公家のような身分の高い女性、は小袖の上の打掛を羽織っておりました。
時代が下ると、裕福な町人女性や遊郭の女性も打掛を羽織るようになったのです。

服装の柄に関しては、江戸時代を通じて流行がありました。
当初は柄も大きく派手でしたが、次第に繊細で地味に変化。
襦袢に付ける汚れ防止の半襟も、お洒落として意識されるようになりました。
さらに、織りや縫い、染めの技術も進化しました。


男性に関しても主な服装は小袖でした。
小袖と何を組み合わせるかで、服装のオフィシャル度合いが変わりました。

礼装は、小袖に肩衣と袴(合わせて裃)を着ること。
正装は、小袖に紋付羽織に袴、略正装は、小袖に羽織を着ること。
ただし、殿中では身分に応じて、細かく服装が定められておりました。
(※三位以上が直垂、四位が狩衣、五位が大紋、六位以下が素襖、頭に烏帽子)


【江戸時代の髪型について】

女性の髪型は、日本髪と言われる技巧的な髪型が誕生しました。
古くは長い髪を垂らしていただけでしたが、徐々に髪を束ねて結うようになりました。
そして、安土桃山時代に束ねた髪を高い位置に結い上げるようになり、
江戸時代の日本髪の発展に繋がりました。

日本髪の構造は大きく分けて四つ。
1:髪を頭上に束ねて結った部分の「髷(マゲ)」
2:顔の両サイドの部分の「鬢(びん)」
3:前髪
4:襟足に近い部分の「髱(たぼ)」です。
この四つの部分を技巧的にアレンジすることで、数々の日本髪が創作されました。

女性の日本髪は、大きく4つの基本形があります。
1:兵庫髷…
頭頂部に輪を作って根の部分を結んだもの

2:島田髷…
頭頂部の髷を折り、途中で締めているもの。

3:勝山髷…
頭頂部の髷で輪をつくるように、その毛の先を髷の中に折り返したもの。 

4:笄髷(こうがい)…
笄という棒状の髪飾りに、髪を巻きつけたもの。

この四つを軸に、多種多様な日本髪が産まれました。


男性の髪型は、大きく3つの基本形に分けられます。

1:銀杏髷…
前髪を剃り上げ(月代)、残りの髪を束ねた上で髷を前に折り曲げ、毛先を銀杏のように広げる髪型。
江戸時代を通じて最も一般的な髪型で、現代では時代劇などで見ることができる。

2:総髪…
月代を作らず、全ての髪を後ろで束ねて髷を結う髪型。
江戸前期では医者や学者の髪型だが、幕末に近づくにつれて一般的な髪型となった。
有名どころでは、坂本龍馬や徳川慶喜、近藤勇などが挙げられる。

3:茶筅髷…
結った髷の毛先を散らした髪型。
前髪を剃る場合と剃らない場合がある。主に江戸時代前期に流行した髪型。
現代では、志村けんのバカ殿さまの髪型が、茶筅髷にあたる。

基本的に丁髷を作るので、大人は前髪を剃って月代を作っていた。
逆に前髪があるうちは元服前の子どもであった。


【江戸時代の化粧について】

原則的に、白・黒・赤の組み合わせで化粧をしておりました。
肌の白さが尊ばれていたため、肌は白粉を塗っておりました。

歌川国貞「当世三十二相 はやりさふ」
(引用元:歌川国貞 これぞ江戸の粋)

眉毛は元服の際に剃り落とし、眉化粧を施します。
子供が生まれると、眉化粧もせず剃ったままでした。
歯は元服後、お歯黒を塗っておりました。
目や口元には紅化粧を施しております。

当時から化粧に関する書籍が存在し、
今の時代と同様にアイラインの引き方等が指南されてきました。

眉化粧やお歯黒は明治期以後完全に無くなりましたが、
白粉や紅化粧は、現代でも芸妓や歌舞伎の世界で息づいております。


男性の化粧に関しては、立場によって異なりました。
一般の男性は化粧をしませんでしたが、美容への意識は高く現代以上とも言われます。

歌舞伎の女形や陰間(男娼)は、女性と同様の化粧をしておりました。
公家や高位の武家では、貴族としての化粧をしていました。
歌舞伎の隈取メイクは、役作りの一環で日常のメイクではありません。


(主要参考文献)

「東洲斎写楽」新潮日本美術文庫 (1997)
「日本の髪型 伝統の美 櫛まつり作品集」京都美容文化クラブ (2000)
「カラー版 浮世絵の歴史」小林忠 (2014)
「日本服飾史 女性編」井筒雅風 (2015)
「日本服飾史 男性編」井筒雅風 (2015)
「浮世絵鑑賞辞典」高橋克典 (2016)
「歌川国貞 これぞ江戸の粋」日野原健司 (2016)
「鈴木春信 江戸の面影を愛おしむ」田辺昌子 (2017)
「歌川国芳 21世紀の絵画力」 府中市美術館 (2017)
「最後の浮世絵師 月岡芳年」平松洋 (2017)
「おしゃれ文化史」ポーラ文化研究所 (2019)
「江戸文化から見る男娼と男色の歴史」安藤優一郎 (2019)

(主要参照サイト)

ポーラ文化研究所 https://www.po-holdings.co.jp/csr/culture/bunken/


浮世絵とお洒落の歴史をご覧いただき、ありがとうございます。

少しでも浮世絵や時代劇鑑賞等のお役に立てれば、これ幸いです。


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